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2015 12.25

クリスマスと平和、笑い声に戦争。

クリスマスが好きだ。


クリスマス本来の意味と違うとか、日本では、ただのケーキとチキンを食べる浮かれた日だとか、そんなことを言って批判する人もいるけれど、

クリスマスが好きだ。


負のエネルギーという言葉がある。

例えばついこの間パリのテロ事件があった時に、Facebookがプロフィール用のスキンにトリコロールを用意したことでいろいろな論争が起こった。

フランスだけでなくシリアで犠牲になった人はどうなる、ほかの地域で犠牲になった人はどうなる、とお互いを叩き合う様子は

負のエネルギー、なんて凡庸な言葉しか当てはまらない光景で、自分にはまるで小さな戦争にしか見えなかった。


分裂は、戦争の始まりだ。

何も全員でフランス国旗を掲げろと言っているんじゃない。他の国の死者を悼むべきと感じた人は、自分で他の国の国旗を模したものや、地球を模したものを作って「そういえば、他の国の人も犠牲になっていたね。君はパリを、僕はここの人たちに祈りを捧げて、一緒に平和を祈ろう」、そう言って、多様性を認めながら一つになれば良かっただけのことだ。全てを均一にするから平和なんじゃない。同じことを祈りながら多様性を認めるから、平和なんだ。


クリスマスの多様性は、美しいくらい平和だ。

ある国では、神に祈りながら。ある国では、楽しい雰囲気とおいしい食事を。


それでも、みんな同じことを祈っている。

プレゼントを買うとき、ケーキを買って家路へ急ぐとき、パーティーへ持参するワインを選ぶとき、帰ってくる家族のために食卓を整え、ツリーに飾り付けをするとき、教会で祈りを捧げるとき、

クリスマスを祝う心にあるのはただ一つ「誰かの喜ぶ顔」だ。

自分が笑うためでも、自分が幸せになるためでもない。誰かを幸せにするため、に何かをするのであればクリスマスはどんな形であれ、神聖で喜ばしくて、美しいものだと思う。

そういう普遍的で穏やかな価値観が、平和の始まりだと思う。


もしもクリスマスという言葉が宗教的だというなら、「誰かを笑顔にする日」と来年からは呼ぼう。


メリーメリー、みんなの笑い声。

みんな幸せになりますように。