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2015 12.18

普通の、ひろしま。普通の、まいにち。

この記事はAdvent カレンダー18日目のエントリーです。

明日はmrtc0さんです。

ちなみにこの記事が、拙頁のブログ一投目です。



 もうすぐ1年が終わろうとしている。


どんな1年だった?と聞かれたら、そりゃぁ答えは間違いなく

「あっという間だったけど、まぁ普通の1年だったかな」だ。

人生を揺るがす大イベントがあったわけでもないし、宝くじにも隕石にもあたっていない。うん、極めて、普通。


でもさ、とふと、頭をよぎる。

普通、ってすごく不安定な言葉だ。

自分にとっての普通が、他人にとっての普通じゃないのは、それこそ懐かしい「バカの壁」じゃないけど基本的な事実だし

(わかっていてもそれを日常の感情の中に活かせるかは別問題だけれど)

そもそも自分の中ですら「普通」って、いつも流動してる。

そうだな、まるでエッシャーの絵みたい。

少しずつ、少しずつ、形を変えて、はじめは「普通」じゃなかったものも時間とともに「普通」になっていく。


今年の春に、一眼レフを買った。

使い方なんか全然わからなくって、ほんの一枚写真をとるのにも、周りの人に聞きまくってやっと撮るくらい。

でも今はぶらっと、肩に下げた愛機と愛レンズで、気の向くまま写真を撮りに出かけるのが、「普通」


「広島の楽しい100人」で今年から急に会計をすることになって、数にすこぶる弱い自分は金を数えるだけでも

結構なチャレンジだったのだけど、今はSiriに話しながら計算して(打ち間違えるより、Siriに計算してもらうほうが絶対に

安心)多少渋い顔をしながら収支決算書を作るのが、「普通」


きっと今右も左もわからないまま書いている「普通じゃない」コンクリ5の使い方だって、何ヶ月かすれば全然「普通」になって、

すいすいブロック追加なんてしているかもしれない。


ほらね、だから「普通」っていつも流動的だ。

そしてすごく、ダイナミック。


きっと「普通」をかっこよく言い換えるなら「進化」で、

だから来年も「普通」でいられるように、

水の下で、薄い水かきのついた両足を、必死に動かさなくちゃいけないんだ。

できればすました顔、ほんと「普通」の顔をして。


「普通」の広島もだからやっぱり、流動してる。

広島の中で、日本の中で、それから世界の中で。

少しずつ少しずつ、いろいろな側面をくるくると見せながら、広島は時を進む。


その「普通」のダイナミズムにいったん気がつきさえすれば

「普通」の広島がどれだけすごくて、どれだけ美しくて、

そしてどれだけ、「普通」の人たちが生き生きと暮らしているのかが 急にはっきりと見えてくるはずだ。


「普通」はいつだって進化と変化の先頭で、どんどんと先へ進んでいく。



なあんだ、「普通」って、案外すごいじゃん。